がくうそうでんせん

架空送電線の話

The Overhead Power Transmission Line
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当初の岩室線

当初の岩室線、すなわち2回線支線付き鉄柱送電線についての情報が「電気之友(大正2年10月、336号)」に掲載されていたので、その概要について紹介する。
当初の岩室線は、利根発電株式会社が大正2年に利根川水系の上久屋発電所等の発電電力を千葉方面まで送電するために建設した当時としては大工事であった幹線送電線のうち起点側の設備である。
掲載記事の概要は次の通りである。

利根発電株式会社支線付鋼塔

群馬県前橋市の利根発電株式会社では、66KV送電線建設に際して、主任技師工学士岩田武夫氏の設計で、特に支線付鋼塔を採用したと言うことは最近では注目すべきことである。
今回、同学士に依頼してその設計図を入手したので掲載する。
同社の送電線は、上久屋発電所から前橋、伊勢崎、太田、館林等を経て埼玉県に入り、羽生、越ヶ谷を過ぎ、千葉県に入って市川町に至る。
この間実に176Kmで、この幹線には全部鉄塔を使用することとし、上久屋発電所~伊勢崎町間に368基、館林町~市川町間に538基の建設工事が既に竣工し、木柱を使用している伊勢崎~館林間も近く鉄塔に建て替えを計画しているもので、建設工事費は概算70万円(1径間当たり550円、1Km当たり4,125円)で、従来の鉄塔建設費に対して遙かに低廉である。

その構造は右図面の通りで、電線配列は三角配列であり、同時代の谷村線、鬼怒川線などと同様な設計思想である。
設計図は、フィート、インチ単位で記載されているので、メートル単位に換算して、鉄柱幅、主柱材の部材サイズ、鉄柱高さを記入してあるが、一部半端な数値になっている。

この支線付鉄柱に対して、雑誌社の社主あるいは論説主幹のような地位の者と思われる人の解説が載っているが、面白いので要約すると下記のようである。

ステー付鉄塔の得失

最近の電気学術の進歩に伴い、長距離電力輸送事業が盛んに行われると同時に、送電線の安全と経済性を計るため、最近は送電線路に鉄塔を採用することが盛んになる傾向である。
本邦でこれを採用したのは、横浜電気株式会社(塔ノ沢線)を始め鬼怒川水力電気(鬼怒川線)、桂川電力(谷村線)、富士瓦斯紡績(東京幹線)、利根発電等の諸会社であり、工事中の猪苗代水力電気株式会社(猪苗代旧幹線)も又その送電幹線全部に鉄塔を使用している。



しかるに、在来の鉄塔形状はほぼ一定であるのに反して、利根発電のものはその形状が全く他と異なり四方にステーを取り付けたものを使用している。
他社の鉄塔の構造は殆どステーを取り付けていないが、利根発電だけがステー付の鉄塔を使用したのは経済性を追求した結果であり、同社はこの鉄塔を使用することで多額の工事費を節約できたという。

その利点は、普通鉄塔に要する材料は1基当たり2ton以上になるのに反して利根発電のものは僅かに1基0.7tonで十分であり、即ち材料において既に他会社採用のものに比べて1基当たり三分の二の経費を節減でき、加えて運搬費においても又大きく節約できる。

或者はステー付鉄塔のことを不利であるという。
外観については議論の外におくとしても、鉄塔にステーを取り付けると建設用地の面積が増加してその借地料が巨額となり不利益が少なくないとの主張に対して、利根発電の実例を聞くと、鉄塔1基1坪、四方のステー用地各0.5坪、合計3坪で建設可能であり、鉄塔のみの用地でこれ以上を要する他のものと比較してみれば、そのような非難は全く当たらないのである。



ステー付鉄塔の利点は以上に記したところに止まらず、鉄塔は風圧その他障害のため、そのバランスを失なわないよう対抗するための抵抗力は案外少ないのに対して、鉄塔にステーを取り付ければ周囲数条のステーが同時に切断すると言うことは殆ど希でありバランスを維持する点では信頼でき得る。

また、建設費においてコンクリート基礎を要しない等のことを挙げれば利点は一二に止まらない。
或いは、その形状が他の鉄塔に比べ美観が良くないとはいえ、実用上何らの欠点と認めるものではなく、その建設経費が三分の一で足りるが故に経営者の利益は莫大であり、実用を主とする電気工作物にあっては、徒に形状の美醜を問うようなことは要ではない。

以上、将来鉄塔を使用しようとする技術者の大いに研究すべき価値がある資料である。

以上、当時の有識者の支線付鉄柱設備に対する見解であり、今日からみると当時はインフラストラクチャーに関して環境対応・美観はどうでもよく、まず安全性・経済性を追求することが求められたようである。
また、用地は借地で用地費はかなり安価であったように思われる。

当時の写真は、探しても無いが辛うじて送電線建設技術研究会の発行図書に掲載されていたものを見つけコピーしたものが右写真である。
この写真は、野中旧線として運用されていたもので、太田市市内で昭和43年(1968年)頃撮影されたものである。
写真で見るとおり電線は、左側回線のみの1回線架線である。

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